SUPER MARIO ODDESSY

「Take a turn, off the path Find a new addition to the cast, You know that any captain needs a crew」

 

世界で最も著名なゲームの一つ、「マリオ」シリーズ最新作。「スーパーマリオオデッセイ」を遊んだ。

僕は、あまりマリオを遊ばない。まあ一応遊んだ、と言っても許されそうなマリオシリーズは、「スーパーマリオRPG」と「スーパーマリオ64」の二本だけで、しかもカジオ―もクッパの三戦目も倒していない。今でもゲームはへたくそだが、当時はそれに輪をかけて、ドへたくそだったのだ。僕は人生において、マリオシリーズをクリアした事がなかった。

そんな惨状であるにも関わらず。或いは、そんな狭い世界で生きていたからこそかもしれないが。僕の中で上記の二作品は、新しいゲームに押されておもちゃ箱の奥に仕舞い込まれるのと同時に、思い出の中でも深く深く埋もれながら、しかし一方で、大地の圧力が時に宝石を生み出すがごとく。その輝きを刻一刻と強めていったのだった。

僕はある時期からかなり長い間、コンシューマ機でゲームを遊ぶことがなかった。そんな僕がコンシューマー機のゲームを見ても、その全ては色褪せていた。おもしろそうだな、と思ったソフトも、たのしそうだな、と思ったハードも。どうせ僕が手に取り、遊ぶ事はなかった。そんな環境では全てが、取るに足らない些細なものだった。思い出の中の宝石と比べれば、可哀想になるぐらいちっぽけなものだった。

一方で僕はその長い期間、パソコンを使って遊ぶオンラインゲームに浸っていた。様々な種類があり、いくつものタイトルを遊んだが、そのどれもが、上記の二タイトルとは、似ても似つかないものだった。僕にとってオンラインゲームの本質は画面の向こうの誰かとのコミュニケーションだった。極端な話、ゲームが詰まらなくても良い。そこに人がいて、くだらない話をしていられるなら、その場を提供しているゲームが素晴らしいものである必要はなかった。ゲーム体験の質が良い必要はなかった。そんなゲームを遊んでいて、思い出の宝石達に傷の一つだって入るはずがなかった。彼らはゲームとして素晴らしく、楽しく、僕が遊べて、そして何より、僕にとってはもはや思い出の中にしか存在しなかった。ゲーム、という観点において。オンラインゲームは端っから勝負にならなかった。

 

そんなゲーム体験を積み重ねていくうちに。僕の中で宝石は呪いと化した。最早、コンシューマゲームであろうとパソコンゲームであろうと、オンラインであろうとオフラインであろうと、僕にとっては関係なかった。全てが宝石と比べればくだらないゲームだった。美しく激しいアクションゲームを見るたび、僕は思った。「まあまあ面白そうだけど、マリオ64にはかなわない」壮大で痛快なRPGを見るたび、僕は思った。「なかなか楽しそうけど、マリオRPGにはかなわない」

これは、時が経ち、友人から中古の携帯ゲーム機を譲り受けてチョコチョコそれで遊び始めたり、Steamの存在を知って様々なゲームを開発するようになってからも変わることはなかった。

どんなゲームだって、完璧足り得はしない。粗いポリゴン。拙いプログラミング。ハードの限界。ズレた演出に穴のある筋、不自然なデザイン。そういったものは確かに存在していたはずだった。だが、そんな点は振り返らない。見返さない。美点だけが映し出され、長所だけが箇条書きされる。思い出は無敵の鉄壁となった。

それは、僕のデジタルゲーム人生を覆い、包み込んでしまう、偉大なる万里の長城だった。

 

そんな中。2016年10月下旬。

Nintendo Switchの第一報プロモーションビデオが公開された。カチン、という軽妙な音と共に組み合わされるJoyコンと、ノリの良い音楽は、実に僕の趣味と合っていた。興味が増して、見てみることにした。ゼルダ。カチン、スカイリム。カチン、なんか知らんバスケットボールのゲーム。カチン、僕のクソ苦手なマリオカート。「ふーん」と思いながら見ていた。面白そうだね。でも大丈夫。僕にはグレートウォールがあるから。そう思っていたら、カチン。そこにマリオがいた。三段ジャンプをしていた。僕の胸に沸いたのは、渇望だった。実に奇妙な感覚だった。僕には無敵の万里があるはずだった。サンシャインにもギャラクシーにも、あろうことかDSリメイクの64にさえ、その壁は一切揺るがなかった。なのに。どうしてか。ジャンプしてるマリオが、欲しくてたまらなかった。ビデオを見終わるころには、僕はSwitchの購入を決めていた(PV時点では、スプラトゥーンに対する印象は「ああ任天堂はやっと二画面とかいう遊びにくそうな方向性を一旦脇に置いたんだね」というのと「相当Esportsやりたいんだね」という程度しかなかった)。

 

僕は続報を待った。しばらくして、どうやらローンチでマリオは出ないらしいと聞いた。ガッカリしながら、それでもSwitchの大層な人気振り、売り切れの連続に慄き、マリオが出ても手に入らなかったら嫌だったので5月に入る前にSwitchを入手した。

また僕は待った。その間に12スイッチ、ゼルダの伝説BotW、ARMS、スプラトゥーン2と僕の人生の中でも一、二を争う頻度でコンシューマゲームを遊び、その面白さに童話酸っぱいぶどうを思い出しながらも、やっぱり3Dアクションゲームはマリオ64だよねという感は拭えないまま、数々の先行プレイ動画を見ながら首を長くして待ち、ようやく。2017年10月27日の午前0時過ぎ。僕はPUBGからログアウトして、マリオオデッセイを始めた。

マリオオデッセイは面白かった。でも64じゃなかった。楽しみながら、まだ僕は壁の中にいた。なんか違うんだよな。結局、64じゃないんだもん。マリオの声優は老けてるしさ。

そうこうしていると、64みたいな部分が見えてきた。64みたいなマップが出てきた。64みたいな演出が出てきた。

楽しいなあ。面白いなあ。しかも凄く64をリスペクトしてるなあ。僕はうれしくて、泣きそうになりながらも、でも64じゃないから壁の中にいた。ムーンを集めて、人生で初めて、3Dのクッパを倒した。ムーンを集めて、全マップを解放した(多分)。ああ、楽しい。まだまだムーンはある。取れるものも取れないものもあるだろうけど、まだしばらくこのゲームを楽しめるだろう。そう思いながら、しみじみこのゲームの主題歌を聞いた。僕は歌をただ聞くだけじゃなく、歌うのも大好きだから、歌詞を探してきて聞きながら一緒に歌った。

そしたら、僕の壁が砕け散った。

何故砕けたか、というのを語ることはまだ出来ない。この歌詞が、それだけ深く僕の心に刺さったからだろうとしか、今は思いつかない。ただ一つ確かなこと。この歌は、マリオオデッセイを曲がりなりにも遊んだ僕が歌って初めて、僕の中で完成した。

 

 

思い出は美しく、到底太刀打ちできない。マリオが生み出したそんなゲーム体験を打ち砕いたのは。結局のところマリオだったという、それだけの、とてもくだらない話。それでも、「Jump Up, Super Star!」を、歌詞ガン見しながらたどたどしく歌ってみて、僕の胸に突如溢れた感情は。どんな宝石の煌きよりも、輝いて見えたのでした。

BIOSHOCK INFINITE

「娘を連れてくれば、借金は帳消しだ」

 

BIOSHOCKは非常に有名な作品らしいのだが、昨日まで名前すら知らなかった。購入したのはSTEAMでシリーズ三作がまとめて15ドルと大安売りだったのと、某所で強烈にお勧めされたからだ。どんなゲームかもまったく知らないまま、意気揚々とBIOSHOCK1に挑戦した僕はそのホラーテイストに開始20分で完膚なきまでに叩き潰され、twitter上で弱音を吐いていたところを親切な人たちに「INFINITEは全然雰囲気違うからそっちからやるといいよ」とお勧めされて慌ててこちらをDLした次第。

まず彼らに感謝する。僕はあまりコンピューターゲームに慣れていないので死にまくったり迷いまくったりしてプレイ中はかなりイライラした場面もあったが、そんなものを吹っ飛ばすほどストーリーが面白かった。すばらしい。まさにドンデン返しという他ない。新たな情報が人物の立ち位置を変える。文章の読み方を変える。ゲーム中ずっと「ああこれ最後にエリザベス死にそうだなぁ」と思っていただけに、あのラストには一際驚かされた。二周目を強く勧める人が多いのも頷けるというものだ。きっと一周目は必死になっていて見落とした様々な真実の断片があることだろう。

また、キャラクターが非常に魅力的だった。ゲーム中、事あるごとに登場してまるで「アリス」の登場人物のように意味深で愉快な会話を繰り広げる二人のルーテスはこのゲームで最も好きなキャラクター達だ。囚われの少女エリザベスは髪をバッサリ切り落としてから馬鹿みたいに可愛くなり、敵に再び捕らえられ狂人が山のようにいる研究施設っぽいステージを一人で攻略しなければならなくなった時に「いやここでやめるわけにはいかないだろ! エリザベスが助けを待ってるぞ!」となけなしの勇気を振り絞る事ができた。

これだけ面白いとなると、BIOSHOCK1、2にも非常に期待できる。できるのだが……怖い。怖いのはどうにも苦手だ。だが面白そうだ。このせめぎ合いが僕をとても困らせている。いつかやろう。そのうちやろう。