魂の駆動体

「その時代背景を無視してこの世に出てくる技術などというのは考えられない。造られる物は、その時代を映す鏡だよ」

 

神林長平「魂の駆動体」の駆動体を読んだ。まったく、僕の周囲の本読み達は何をやっている。これほどの作家の作品を僕の目から隠し続けていたとは。

まず。ここに一つ告白をしよう。この本を買う時に、僕が読みたかったものとは明確に違う作品だった。数日前のことになるが、僕は友人と全自動運転車(この作品で言うところの「自動車」)についての話をしていて、実に底意地の悪い想念を得たのだ。「自動車」がこの国を駆けずり回る未来が例え不可避であったとしても、今後五年や十年でやってくるような物なんかであるわけがない。「自動車」の事をメインテーマとして扱っている作品を読んで、他人の考えた「自動車」のメリットやら必然性やらをつぶさに観察し、それを僕自身の手でやり込めてやろう。(マァ、逆に僕をやり込める事ができるほど練られた作品があったら、多少感化されてやっても良いカナ。)などという、なんとも偉そうな態度で、一握の憎悪と小匙一杯の興味を胸に抱いて、Googleを頼り、「自動車」をテーマとした作品を探したのだ。「自動車」が登場する作品はいくつもあったが、「自動車」をテーマとした作品はどうにも見つからなかった。そんな中、辛うじて説明にそれを推察させる一文があったこの作品を、僕はAmazonで注文したのである。

ああ、しかし。こんな不純な動機で読み始めたのが恥ずかしくなるほど、素晴らしい作品だった。この作品はむしろ僕が毛嫌いしている「自動車」に、どうにも馴染めない側の人間を扱っていた。その考えはハッキリ言って僕の世代から見ても古臭く、それ故に僕個人から見てとても心地よかった。モノづくりという行為への記述や、キャラクターの話す言葉の端々が、僕にとっては心強く、また身につまされ、そして耳が痛かった。まるで気難しいが洒落っ気のある老教授から数コマの授業を受けたかのような、そんな感覚だ。小説を読んでいて初めての経験だった。そして、あくまでも「『自動車』嫌い」という意識に固執していた僕を、まるで薬湯にでもぶち込むように、洗い流してくれた。今だって好きではないが。しかし。好きだとか待ち望むといった人間のことも考えられるぐらいには、毒気を抜かれてしまった。僕はこれで中々僕との付き合いが長いからわかるが、実は結構凄い事なのだ。僕はこれまでにも何度か「まるで僕の準備が整ったのを待っていたかのような」作品と出会ってきたが、この作品は、まさに「僕が今、読むべき」作品だったのだ。

 

これだから、本を読むのはやめられないんだ。

後妻業

「けど、向こうは詐欺師やんか。老人の遺産を狙う結婚詐欺師」

「日本の法律はね、被害者の保護なんか二の次なんや。騙されたほうがわるいねん」

 

黒川博行「後妻業」を読んだ。明日、正確には今日2016年8月27日に映画「後妻業の女」として上映開始予定の作品であり、かなりの豪華キャストであることから、この作品から黒川博行の小説を読む人も決して少なくないだろうと想像する。

いやしかし、この小説は是非、他の黒川小説を読んでから読んでいただきたい作品だ。この人の作品はキャラクターの目と脳の間にカメラを埋め込むような形でシーンが描写される。まずこれまでの作品と違うのはそのカメラの数である。これまでの作品では、カメラの数は大抵一つであり、そのカメラを埋め込まれたキャラクターが自然と主人公として情景を観て、人物に会い、読者に心情を伝えていた。後は精々マスターシーン的に別キャラクターをほんのりと映すに留まるといった様子である。しかし、この「後妻業」は違う。この作品に設置されたカメラは3つ。そのどれもがしっかりと事件のただなかにある人物を追い、どれがメインというのでもない。そう、この作品は、僕が読んだ黒川博行の作品の中で初めての群像劇である。カメラの多さに作者自身が若干扱いきれず、今誰のカメラであるのかを数行伝え損なう場面こそあるが、それもこの作品の面白さを損なうほどのものではない。

もうひとつ、これは前述の群像劇という点で半分触れたが、確固たる主役の不在。これも読んでいて驚き、また面白かった点だ。この人の作品は基本的に一組のバディにスポットを当て、そのうちの片方に主役としてカメラを埋め込み、彼らの頑張りを追うというものだが、この作品では三組のバディ(語弊はあると自分でも思うが、間違ってはいないはずだ)に3つのカメラを埋め込み、そのどれもが頑張るのだ。

どれが主というわけでもない三組が絡み合う歯車のように物語を勧めていくので、読者がその三組のどこに感情移入するかで見え方が全く違ってきて、そして、これは想像だが――それも恐ろしい想像だ――結末を読んで同じ気持ちを抱くのではないだろうか。

素晴らしい。

 

ていうかもうこんなもん半ばホラーだよホラー。こんな小説二時間でどうやって映画化するんだよ。出来るのかよ。いやもうこの際出来なくても許すよ僕。ああ、映画が楽しみだ!

 

*2016年8月31日追記:映画は見事にやってくれました。してやられました。*