僕のエメラルド・シティ

THE TRUMAN SHOW

「ココアを飲まない? ニカラグア産のココアよ。人工甘味料ナシ」「何をしゃべってる? 誰に?」「このココア私は大好き」「なぜそんな意味のない話をするんだ?」

 

ジム・キャリー主演「トゥルーマン・ショー」を見た。初めてYoutubeでお金を使ってしまった。雨が降っていて外に出る気がしなかったからだが、驚いたのはその値段設定だ。48時間で300円。利便性の代償にしても、店舗に比べて高すぎる。次からはちゃんとレンタルビデオ屋で借りよう。

とは言え、この作品の面白さにはケチのつけようがない。僕は大満足だ。全編を通して、古ぼけて、典型的で、そして過剰なまでに芝居臭い劇中劇が繰り広げられる。世界でただ一人何も知らない男トゥルーマンへの、驚くほど大胆なメッセージ“IT COULD HAPPEN TO YOU!”(災難はあなたを狙っています)を掲げる旅行会社という矛盾しきった存在を見た時には、そのあまりの荒唐無稽さにTRPG「パラノイア」を連想した。番組制作者のクリフトフはトゥルーマン一人のために存在するハーバー島をユートピアと呼んだ。しかし、誰かのユートピアはいつだって別の誰かのディストピアだ。その場所でただ一人「俳優」でないトゥルーマンにとって、周囲すべての人間がひとつの意思を持って動き、誰もが自らを偽っているという状況はまさしくディストピアと言えるだろう。

そんな彼が一人の女性をきっかけに、最終的に自らを保護/生育/抑圧/管理/支配する存在の用意した「楽園」から抜け出すという事がエデンを追放されたアダムと一致しているということぐらい、いくら西洋文化圏からかけ離れた自分であっても気がつく。海から殻を破って外に出るというのは、孵化や出産をも暗示しているのかもしれない。考えただけでもおぞましく、しかし温く守られていた卵からようやく生まれてきたトゥルーマンに今後いったいどんな出来事が待っているのか。想像するだけでも背筋を冷たいものが走る。時にはかの楽園での暮らしを思い出し、帰りたいとすら思ってしまうかもしれない。クリフトフとて、トゥルーマンを愛していたのに違いはない。彼なりに、最高の条件を作っていたのだろう。それでも、子はいつか親離れをするものだ。誰が嫌がろうとも。

 

最後のセリフは、この作品中最強の切れ味を持っていた。「番組表はどこだ?」時間にして3秒のこのセリフはトゥルーマンの必死の航海、真実との対面、その選択をリアルタイムで目撃し、歓喜の声をあげる観客たちの喜びように同調して浮かれ気分になった僕にとって、バケツ一杯の氷水をお見舞いされたようなものだった。僕にはこう感じられたのだ。「これがお前だ」と。人の一生分の葛藤や苦悩と、そこから導き出される選択。それさえもエンターテイメントとして消費し、それが終わればすぐさま新しいエサを求めてさ迷い歩く、満ちることのない餓鬼。「それがお前だ」と。

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