昨日は衆議院選挙があった。投票率は戦後最低と報じられている。
白票やいたずら書きすら投じない、「投票に行かない人」の割合がここ70年で最も高くなったということだ。
「選挙には行かない」という人は、僕の周りにも何人かいる(と言っても、彼らが本当に行っていないかどうかは、僕には確かめようがないが)。そんな人たちに理由を聞いたところ、一番多かったのは「僕の(わたしの)一票で当落が決まることなんてないから、行っても無駄」と言うものだった。
なるほど。確かに、一票の差で当落が決まる事はそうそうないのかもしれない。今回の選挙結果を僕がいくつか見て回ったなかで一番の僅差だったのは新潟2区の102票差だ。0.1%の差で当落が分かれるという恐ろしいほどの僅差だが、一票差ではない(ちなみに惜しくも敗れた候補者は比例での復活を果たした)。僕自身、票を投じた候補者は当選したが、僕の一票が無ければ落選したとは思わない。僕が投票に行かなくても、彼は当選しただろう。「一票で当落が決まることなんてない」というのは、ほとんどの場合において正しい。
だが、「だから行っても無駄だ」という主張を、僕は正しいと思わない。
僕にとって投票は、登山に似ている。違うのは、目指すべき山がどの方向にあるのか、どのぐらい離れているのか、そしてどれほどの高さを持っているのか、それを教えてくれる地図を持っていないという事。ある時は間近に、ある時ははるか遠くに山を感じながら、ただ歩いて行くしかない。僕にとって選挙に投じる一票は、目指す山を求めて踏み出す、そのたった一歩分にすぎない。この一歩で山頂に立てるなら、それでよし。立てずとも、辺りを見渡し、よさそうに思える場所に向かって、あるいはわるそうに思える場所から離れて、次の一歩を踏み出す。その選択があっているのか間違っているのか、目指す山のいただきに辿りつくまでわかりそうにない一歩を、それでも踏み出す。これが、僕の考える投票だ。一歩なんてものは、山までの距離に比べれば微々たるものだろう。事によっては、その一歩で逆に遠ざかるかも知れない。それでも、一歩は一歩だ。無駄じゃない。
あなたの一票は「何かを変える最後の一票」にはなれないかもしれない。でも、「何かを変える最初の一票」ではある。あまり気負わず、ピクニックに行くような陽気さで、ハイキングに行くような気軽さで、歩きだしてみてはいかがだろうか。あなたの登りたい、その山に向かって。
此の道を行けば どうなるのかと
危ぶむなかれ 危ぶめば 道はなしふみ出せば その一足が 道となる
その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ清沢 哲夫『無常断章』「道」