「英語でもっとも危険な二単語は……GOOD JOBだ」
「セッション」を見た。純朴な青年が、自身のエゴと妄執を自覚し、ドラマーとして目覚める様を、見事なジャズ音楽と共に描いた映画。
まるで歌舞伎の拍子木のようなドラムから幕が開き、瞬く間に僕は映画に引き込まれた。あのような演奏をなんと呼ぶのだろう。ジャズ――特にドラム――が特徴的に使われていたといえば「バードマン」もそうだった。アメリカを象徴するものなのだろうか。
話としては、そこまで特異なものはない。鬼のように厳しい教師と、それに才能を見出された若者。百万とある類型だ。
だが、キャラクターが異質だ。鬼のように厳しい教師は心のかなり奥の方まで鬼で、「やさしい内面」など作中ではまったく見せない。一方若者も、「ドラムの邪魔だから」と彼女に別れを迫ったり、友人に「あのクソ赤毛には譲らない!」と罵ったり、かなりとんでもない。鬼教師に影響されたと言うのは間違ってないだろうが、正確ではないように思える。あれは自身がそうであると「気づいた」にすぎない。どこまでもお似合いの師弟だった。
よくある話に異質なキャラクターが合わさると、どうなるか。展開がどんどん予想外の方向に行くのだ。「ベタ」が「ベタ」に繋がらない。「お、こんな出来事が起こるのか。じゃあこうなるかな?」というこちらの心構えが瞬く間に否定される。作中の周囲の人間と同じように、見ている人間もまた二人のエゴに引きずられるのだ。その、一歩間違えば不快にしかならないだろう体験はしかし、そのエゴが結果的に生み出す素晴らしい音楽の力で僕の中で許容された。
最後のコンサートシーンなど極めつけだ。どこまでも驚かされ、しかし考えてみれば完璧に、それまでに撒かれたタネを回収しているのだ。「僕のパートだ!」「一年間、ひたすら練習した」。素晴らしい。見事な話の作りだった。