「人は愚かだ。間違うこともある。それでも、一瞬一瞬、確かな幸せを得られるなら、間違うことを恐れるべきじゃない」
橋本紡「九つの、物語」を、ようやく、ようやく、読み終えた。おそらく発売から間もないころに貰ったもので、もう七年にもなるだろうか。今まで読まなかったのが不思議であり、一方で、今だからこそ読んで良かったのかも知れないとも思う。
とてもやわらかい。易しい文体で、優しい言葉で、読者の共感を呼び込むような、そんな小説だった。
橋本紡という小説家を想うとき、僕は絶対に置いておけない作品が二つある。「リバーズ・エンド」と「半分の月がのぼる空」だ。後者はアニメにもなったし、確か実写映画にもなったのではなかったか。それ以外にも三重の方言で書き直されたり、別の文庫から再販されたり。色々と、話題に事欠かない作品だったように記憶している。前者は、それとは対照的だった。メディアミックスと言われるようなものは全然でず、そういう意味でとてもおとなしい作品だった(内容はそんなことなかった)。片や恋愛モノ。片やSFモノ。扱われ方のまったく違ったこの二つの小説は、しかし同じ空気を漂わせていた。僕はどちらも大好きで、しかし、読んでいると悲しくなってくるので、そう何度も読み返しはしなかったと思う。だから、大まかな流れやいくつかのシーンは覚えていても、細部やどう終わったのかは良く思い出せない。果たして、最終巻までちゃんと読んだのかどうかもわからない。読み直せばよいと、そう思うだろう。だが僕はそれどころではないのだ。作品を頭に思い描くだけで、胸のどこかが背中に向かって沈み込んでいくような、そんな気分に覆われてしまう。作品に対するぼんやりとした記憶を思い出すだけで――あるいは作品を克明に思い出せないからこそ余計にそうなのかもしれない――辛いのだ。悲しいのだ。泣きたくなってしまうのだ。だから、もうしばらく、この二つの作品を読むことはないかもしれない。読みたいと思い、読みたくないと思う。大いなる矛盾だ。
話はさらに横へ飛ぶ。「あの時代は」、と。わずか数年間を、あえて大層な言葉で括ろう。あの時代は、面白くて、軽妙で、しかしその中にも悲しみや憂い、あるいは切なさみたいなものを湛えた物語が、ごく一部、若者向けの小説レーベルで流行していたように思う。「イリヤの空、UFOの夏」「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「時空のクロス・ロード」……等等。名を挙げだせばキリがなく、また人によって分類も受け取り方も違うだろうから、ここまでにしておく。とにかく、まだ「ライトノベル」という言葉が今ほど浸透していなかった頃。読んでいる僕たちでさえ、そんな言葉を使っていなかった頃。「ライトノベル」の中で、笑いながら涙するような。心地よさの中で身を裂かれるような。そんな小説が流行った。楽しくて、可愛らしくて、少し猥雑で、でも、それだけじゃなかった。どこかに棘を持っていた。僕の心を突き刺して、離れない。存在を忘れさせない。読んでいると楽しくて、でも辛い。そんな小説が馬鹿みたいに沢山出て、読むたびに心を締め付けられることの出来た時代が、確かにあった。
この小説を読みながら、僕は泣いていた。作品の内容というよりも、この小説に漂う空気にやられた。あの時代の匂いがした。僕の大好きだったあの時代の。懐かしかった。ただ、なによりも、懐かしかった。ああ、こんな小説を書く人だった。そして、こんな小説を書く人が沢山いた。
そして僕は、こんな小説が大好きだった。