「けど、向こうは詐欺師やんか。老人の遺産を狙う結婚詐欺師」
「日本の法律はね、被害者の保護なんか二の次なんや。騙されたほうがわるいねん」
黒川博行「後妻業」を読んだ。明日、正確には今日2016年8月27日に映画「後妻業の女」として上映開始予定の作品であり、かなりの豪華キャストであることから、この作品から黒川博行の小説を読む人も決して少なくないだろうと想像する。
いやしかし、この小説は是非、他の黒川小説を読んでから読んでいただきたい作品だ。この人の作品はキャラクターの目と脳の間にカメラを埋め込むような形でシーンが描写される。まずこれまでの作品と違うのはそのカメラの数である。これまでの作品では、カメラの数は大抵一つであり、そのカメラを埋め込まれたキャラクターが自然と主人公として情景を観て、人物に会い、読者に心情を伝えていた。後は精々マスターシーン的に別キャラクターをほんのりと映すに留まるといった様子である。しかし、この「後妻業」は違う。この作品に設置されたカメラは3つ。そのどれもがしっかりと事件のただなかにある人物を追い、どれがメインというのでもない。そう、この作品は、僕が読んだ黒川博行の作品の中で初めての群像劇である。カメラの多さに作者自身が若干扱いきれず、今誰のカメラであるのかを数行伝え損なう場面こそあるが、それもこの作品の面白さを損なうほどのものではない。
もうひとつ、これは前述の群像劇という点で半分触れたが、確固たる主役の不在。これも読んでいて驚き、また面白かった点だ。この人の作品は基本的に一組のバディにスポットを当て、そのうちの片方に主役としてカメラを埋め込み、彼らの頑張りを追うというものだが、この作品では三組のバディ(語弊はあると自分でも思うが、間違ってはいないはずだ)に3つのカメラを埋め込み、そのどれもが頑張るのだ。
どれが主というわけでもない三組が絡み合う歯車のように物語を勧めていくので、読者がその三組のどこに感情移入するかで見え方が全く違ってきて、そして、これは想像だが――それも恐ろしい想像だ――結末を読んで同じ気持ちを抱くのではないだろうか。
素晴らしい。
ていうかもうこんなもん半ばホラーだよホラー。こんな小説二時間でどうやって映画化するんだよ。出来るのかよ。いやもうこの際出来なくても許すよ僕。ああ、映画が楽しみだ!
*2016年8月31日追記:映画は見事にやってくれました。してやられました。*