僕のエメラルド・シティ

Mary Poppins Returns

「忘れないよ、メリーポピンズ」

 

「メリーポピンズ リターンズ」を見た。1965年に公開された傑作ミュージカル映画「メリーポピンズ」が、50年の時を超えて新作映画になる。それを知った時、勘の良い僕はピンと来ていた。

今(と限定するまでもなく)、世界中でリメイクが流行だ。リブートを繰り返す各種ヒーロー映画に擬えるまでもない。「パディントン」「ピーターラビット」「美女と野獣」「くるみ割り人形」など、ディズニーでも他の会社でも、日本のアニメ業界でだって。ちょっと思い返せばいくつも出てくる。何も「リメイクは商業的に堅い」なんて擦れただけの考えでもないだろう。名だたる過去の傑作を見て育ってきた世代が造り手となり、それらを自分たちの手でもう一度やってやろうじゃないかと思うのは実に自然なことだ。それは、この「メリーポピンズ」という怪物を前にしてすらも同じことだろう。むしろメリーポピンズには最強の音楽がついている事だし、組み立てを多少いじってそれを流すだけでも戦えるものは出来てしまいかねない。言われてみれば良いチョイスだ。

などと。

今にして思えば赤面するより他にない、愚鈍にして蒙昧な考えを抱いて。それ以上の何を知ることもなく、僕は劇場にやってきた。スクリーンに入り、周りが暗くなっても。公開前に外の屋台で買ったまっずいお握りの事を思い出していたほどだった。

そして、映画が始まり、ほどなく。僕は己の勘違いに気付いた。ガス灯。車いすに乗った提督。優し気な父親。快活な伯母。3人兄妹。

これは、リメイクではなく続編だった。「メリーポピンズ リターンズ」。読んで字のごとく。この映画は、かつてメリーポピンズに子守をされたバンクス姉弟が成長した時代にメリーポピンズが帰ってくるという物語だったのだ。つまり、「プーと大人になった僕」が近いわけだ。(こうやって並べると、一層「ウォルトディズニーの約束」で原作者がプーさんに話し掛けるシーンの重みが増す気がしないでもない)

という事に遅まきながら気付き、大きく納得をして、しかし僕は正直なところ、(こんなもんか)と思いながら見ていた。懐かしいメロディーは聞こえてくるものの、目玉となるミュージカル部分は新曲、新曲、新曲。どれも愉快な出来だがいくらなんでも相手が悪い。俳優陣を見渡せば、脇役や子役の芝居などは流石に時代とともに上がってきた全体としてのレベルの高さを感じさせるものの、あの主演二人に匹敵するほどの華を備えた俳優など、おいそれと見つけ出せるものではなく、前作が大好きな人間の贔屓目という点を考慮してもなお、追いつけてはいない。音楽や舞台は徹底的に「メリーポピンズ」を踏襲し、常に一目で「ああ、これあのシーンだ」と気付けてしまう。となれば最後の頼みは映像部分だが、ふんだんに使われるCGは余りにも幻想的、夢想的すぎ、実写であるキャラクター達が「浮いて」しまっていて。今映し出されている光景はメリーポピンズの操る魔法などではなく、夢とカリスマを備えたナニーの生み出す虚構に過ぎないのだと思わされてしまう。まあ、このように作中に現れる「非現実的事象」とキャラクターがそれを想像しているに過ぎない「虚構」の境界を「虚構」側に思い切りズラして描くのは最近とてもよく見るので(「プーと大人になった僕」や「エクソダス:神と王」などがパッと思い浮かぶ)、その流れを汲んでいるのだろう。

要するに。よくあるリバイバルの一環。それに過ぎない映画なんだ。それが、序盤を見ていての僕の感想だった。やがて2Dアニメーションのパートが現れ、久々に、本当に久々にディズニーの2Dアニメを見ることが出来て、それだけでも結構胸に来るものがあったが、映される群衆の中に微動だにしない個体を見つけるたび、規則的に同じ動きを繰り返している様に気付くたび。「衰えたな、ディズニー!」と。言いたくなる自分が居た。

潮目が変わったのは、終盤。本当に終盤だった。意地悪な銀行頭取の手で、バンクス一家は家を失いつつあった。そこに、かつての頭取が姿を現した。その姿。見紛うはずもない。ディック・ヴァン・ダイク。あの名優が、50年の月日を経て、あの時の姿でそこにいた。そして彼は、あまりにも鮮やかにすべての問題を解決してみせた。

2ペンス。

たったの2ペンス。マイケルが老婆から鳩の餌を買うために取り出した2ペンスを、父親が「未来のために」銀行に預けさせた明るくコミカルでしかし間違いなく暴力的なあのシーンを、この映画は見事に昇華させた。この上なく美しく、そして何よりも相応しい。まさに絶妙な脚本だった。あの1シーンで、この映画はどこに出しても恥ずかしくない、堂々たる「メリーポピンズ」の続編となった。

この映画は、とても完璧な映画ではない。シーンはどこも「メリーポピンズ」の焼き直しだし、音楽も俳優陣も映像効果すら、とてもとても勝ってるとは言えない。所詮一山いくらのリバイバル、と舐め腐った僕をぶちのめしたその1シーンの後だって、わざわざ必要か? と思ってしまう描写が挟まり、感極まっていた僕としてはどうも興が削がれたような感じを受けた箇所もあった。何より、この映画は「メリーポピンズ」を見てない人には多分付いていけないだろう。

それでも、この映画は「メリーポピンズ」でしか出来ないことをやったし、「メリーポピンズ」がやらなかったこと、やり残したことをやり遂げた。何より、「メリーポピンズ」を見ていて出てくる動物たちや奇人変人がだれもかれも「やあメリー・ポピンズ! お会いできてうれしいよ!」みたいな知人同士の挨拶をしていて若干の疎外感を感じていた僕としては、今度は逆に彼らと一緒に「久しぶり! 待ってたよ!」という心境で見ることが出来るというのは本当に嬉しかった。余りにも僕が感動した部分を有体に書いてしまったので、その手でこのような事を記すのはどうかと自分でも思うのだが、もし幼いころに「メリーポピンズ」を楽しんだ過去を持っているなら、この映画は間違いなくお勧めできる。

この作品は、メリーポピンズの宿題をやってのけた。

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