「わたし たち しんかしました でも あれ は わたし たちに こんとろーる できませんでした」
フレンチアニメーションで描かれる星新一世界、といった感じ。昔カートゥーンネットワークでたまーにやっていたフランス語の名前も思い出せない奇妙なアニメを思い出して仕方がなかった。蛍光色とぐにゃぐにゃとした線は日本のテレビアニメーションとはかけ離れているので、あまり好かれないだろうな。
BGMに声を使ったものが多く使用されていたが、コード:Dをダンディが引きちぎってからはパッタリ声が無くなったのがとても印象的だった。
内容はモノリスからの脱却、知恵の実の放棄。そしてそれが彼ら自身の力でなく、コード:Dと同じように宇宙から飛来した他者(ダンディ)によって成し遂げるというのが、なんとも。皮肉というか、悲劇というか。
コード:Dの危険性はさっぱり説明されない。Dr.Hが危険だ危険だと言うばかりで植物達は生を謳歌しているように見てとれるし、南半球のとてもテンプレートな蛮族っぽく描かれている黒い植物達がミャウをブクブクに太らせてフォアグラを食べようとしてたり、北半球の白い博士が独断で星全体の知性の放棄に繋がる決定を下したり、今回の話は解釈しようとすればいくらでも出来そうだ。というか、表層を見てるだけだと全然面白くない気がする。一方で、具体的な何かを婉曲的に表現している風には感じられなかった。おそらく見ている人間の内部に存在する何かと呼応して読み解く類のモノだろう。つまり僕が定義付けしているところの「芸術」だ。
最後、植物にはもうコリゴリだ、と漏らしたダンディの頭にヤシの実が落ちるのも興味深い。この話を通じて、自分と対話してみても良いかもしれない。