「大昔の地球、ソビエト連邦が打ち上げた人工衛星スプートニク2号。それに乗り、宇宙に飛び立ったライカ犬がいた」
七話に引き続き、僕の中で物議を醸している。何度かキーボードを叩いてみたが、うまく感想を言語化できない。
ので、大まかに構造を分解してみる事にした。
まず骨子としては当然、ワンコの悲譚が挙げられる。彼女がスプートニクに積み込まれたクドリャフカだったのかどうかはナレーションの言うとおり定かではないが、この手の宇宙に行った実験動物達への憐憫は当時も今も多くの人が持っている。その感情をうまく利用し、少ない時間で彼女の死に感情移入させてくれた。ミャウの涙は普遍的な後悔である「意地を張っているうちに死別」という状況を典型的に再現していたし、芝居がかったナレーションが逆に見ている人間の感情を揺さぶってくる。声優の力技じゃないのかと言われると正直否定できないが。
また、ワンコの死と半ば道を同じくする形で、ノミラーと名乗った兄弟、グラビトンとグラビティーノの物語が展開される。彼らはワンコに寄生していたが、その死を予感しミャウの体へと飛び移り、アロハオエ号にて非業の死を遂げた。ところで僕は見ていてまったくわからなかったが、
308 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2014/02/25(火) 21:47:58.20 ID:M1FEHFyt0
ノミは犬に寄生、犬は星に住み、星はノミに支えられている何気にSFらしい円環構造じゃんよ
この書き込みに気付かされた。言われてみればなるほど、彼らは共生関係にあった訳だ。
そして、彼らの死は別の死をも呼び込む事になる。
ゴーゴル帝国第七艦隊のゲル博士とビーだ。彼らはダンディの場所を発見してワープインしたのだから、当然その場所にワープアウトしてくる。そして、そこはグラビトンとグラビティーノが死んだためにブラックホールと化した金属惑星だ。この流れも良く出来ている。起きている出来事自体は非常にありきたりだが、彼らはタイトル前に軽い漫才をやったきりで、目の前ではまったく違う物語が展開されていたためすっかり存在を忘れてしまっていた。そのお陰で、「確かにこいつらワープしたわ!」という驚きと納得が生まれた。
そして最後の、コテッコテの昭和アニメ的エンド。思い返してみると、Bパートにもいくつもの死があり、ノミラーに至っては絶滅しているのに、悲しいのはワンコのエピソードだけで、後はギャグなのだ。感情は描き方、視点の置き方でどうにでもなるのだということを実感させられた。
分解してみて改めて思ったが、製作陣の作りたいものはきっと「理屈じゃない面白さ」なのだろう。南雅彦プロデューサーもWebラジオでそんな事を言っていた。それは茨の道だ。「理屈じゃない面白さ」は説明不可能であるが故に「わからない人間には決してわからない」。僕だってひとつ接し方を違えていれば「なんだこの糞アニメ」と考えていた可能性は十分あるし、今後のエピソードにどこまでついていけるかもわからない。だってこのアニメの面白さは「理屈じゃない」から。
それでも、今この作品を楽しめている事はとてもうれしいし、可能ならば最後まで楽しみたいと思う。ダンディのスピードに、僕がついていける事を祈っている。