Star Wars: The Last Jedi

「また会おう」

 

スターウォーズ・サーガ第八作目、エピソード8「スターウォーズ 最後のジェダイ」を見てきた。

この無精者はどうやら、エピソード7を見た時の興奮を同卓者に散々語って満足してしまったようで、ブログには残していなかった。仕方ないので、今軽く触れておく。

エピソード7の中では、沢山の……本当に沢山の、目配せがあった。既知のスターウォーズファンを喜ばせるようなちょっとした小物、ふとした台詞、懐かしいキャラクター。そして展開。

僕はエピソード7を見て、「ああ、この映画はスターウォーズの4から6を、一度にやってしまった。次から本当の、『新しいスターウォーズ』が始まる」と思った。

この予想は半分当たり、半分外れた。

エピソード8でも、かつてのスターウォーズを想起させるポイントが随所に見られる。しかしその上で、今回の映画はそこから続くお馴染みの展開を期待した僕の肩をすかす。一度や二度ではない。何度もだ。

こう思ったのは、僕だけではないだろう。何せ、プロモーションビデオからして嘘まみれなのだ。

宝物の如く手渡されたライトセイバーをルークはゴミのように投げ捨て、追い縋るレイへ当てつけるように奇怪な生物の乳を啜る。レイの修行シーンと思えたものは彼女が独りよがりにブンブンしていただけで、歴史を感じさせた岩はあえなく破壊される。

だが、映画を見たなら分かる。これは、ミスではない。彼らは意図的に本編内容を隠蔽した。

 

そして、それは大正解だった。

こんなスターウォーズは全く想像していなかった。僕の予想は大きく裏切られ、僕の期待を大きく上回っていった。

そして、エピソード7を思い返し、エピソード8の姿をようやく捉えた。これは、『破』だ。

守破離。

道を究め、何かを修めるにあたって言われる、三つの段階。

エピソード7は『守』の映画だった。スターウォーズを三度映画化し、熱狂を蘇らせるため、過去のスターウォーズを途轍もなく研究し、「スターウォーズらしさ」を見事に描いた。

そして、エピソード8は『破』だ。スターウォーズとは何か。今語るべき物は何か。スターウォーズらしからぬ展開、スターウォーズらしからぬ描写。スターウォーズがしなかった事の中に、確かにスターウォーズの真髄を落とし込んだ。

 

となれば、二年後。順当に行けば2019年の冬に公開されるであろうエピソード9へ掛かる期待は『離』でしかありえない。「スターウォーズ」という大いなる映画、偉大な物語から、どれだけ自由になれるのか。

彼らがスターウォーズという道の果てに、どんな答えを叩き出すのか。本当に、心から楽しみだ。