火星の人

「太陽電池アレイは砂をかぶって、使いものにならなくなっていた(ヒント:太陽電池は電気を作るのに太陽の光を必要とする)。」

 

アンディ・ウィアー著、第46回星雲賞(海外長編部門)受賞「火星の人」を読んだ。不慮の事故でただ一人火星に取り残されてしまった男が、なんとか地球とのコンタクトを復旧し、救助を待つ。

僕がこの本の存在を知ったのは、「映画化される」という情報からだった。主演マット・デイモン。監督リドリー・スコット。SF。なんともそそられるラインナップだ。とこのニュースを聞いた時点で、僕はamazonにこの本を注文しようと見に行った。そして、価格1200円(税別)表記に怯えて逃げ出した。映画を見てからで良いじゃないかと自分を誤魔化しながら。

そこから一ヶ月ほど経っただろうか。Redditでこの本のレビューを見かけた。詳しくは思い出せないが、「面白いよ」と書かれていたのは確かだったように思う。そしてつい先日。僕はでっかい本屋にいた。うろうろとほしい本はないかとうろついていると、SFを集めた棚で一段と目立つ本があった。「火星の人」だ。そのまま僕は引き寄せられるように買った。値段は変わらず僕を怯えさせたが、それでも買ってよかった。

この小説は主人公の体験する火星での出来事が一人称で、その他主人公の関与しない、主に地球の人間たちの様子が三人称で、それぞれ書かれている。この一人称部分が本当に楽しい。ユーモアに溢れる人物が、絶望的としか言いようのない状況をあくまでも重くなりすぎないように、そして「いつかだれかが見つけてくれる」だろうという予測の元、日誌という形でその「だれか」に語りかけるように書く。数ページに一度ほどのペースで笑いをぶっこんでくるし、基本的に楽天家な性格なので、本当に楽しく読める。コメディ作品にある「気の毒なんだけども笑ってしまう」という感覚を見事に生み出している。それでいて、笑えるだけの小説ではない。マーク・ワトニーが現状を笑いに変えれば変えるほど、逆にその深刻さが引き立つのだ。この笑いが、地球側で行われるNASAの職員たちの必死の頑張りに、強烈な説得力を持たせる。大いに笑わせられ、それでいて心揺さぶられる。おかげで、600Pにせまろうかという分量を瞬く間に読んでしまった。

この小説は確かに、映画に向いていると言えるだろう。だが、この小説の面白さ、特に一人称部分の楽しさを映画で出すのは困難だ。独白では時間がかかりすぎるし、シーンを削ればそれだけ積み上げが失われる。小説の再現にこだわるより、映画ならではの面白さを描いたほうが良いかもしれない。勿論、失敗すれば目も当てられなくなるが、どのみち原作に忠実に作ったってこの空気を再現できなければきっと見れたものではなくなるのだ。その点は同条件である。というわけで僕は映画がこの小説をどう翻訳するのかに期待しながら、日本では来年になるであろう公開を楽しみにする。

 

最後に、「火星の人」をこれから読む人へ。この小説、特に一人称部分は一気に読んだほうがいいぞ。その方がきっと作品に浸れる。

煙霞

「男と女は騙しあいや。騙されて怒るようなやつは修行が足らん」

 

黒川博行「煙霞」を読んだ。どうやらミステリーだったらしい。確かに謎は存在しているし、その謎が解き明かされる様はミステリーの名に恥じないのだろうが、どうにもキャラクターの言動が目立ち、謎の方に意識が向かない。特にこの人の小説は土木建設の裏事情とか小切手の仕組み、今回だと学校法人で理事長がどう金をチョロまかすかというような、法律や監視からの逃れ方で謎の部分を構築しているため、内情もまったく知らず想像もつかない僕のような人間は何を言われても「ほほう、なるほど」ともっともらしく頷くしかなく、実際のところはさっぱり見当が付いていないのだ。そして、「その上でなお面白い」小説に出来るというのが、この小説家の本当に凄いところなのだとも思える。

小説家は取材をする。これは小説家に留まらず、何かを作ろうと思ったらその題材に関して歴史を学んだり当事者に話を聞いたりするのはある種当然のことで、その取材の過程で知った「思いもよらなかった面白いこと」を他人に伝えたくなるのも勿論当然の成り行きだと言えるだろう。だが、そこから「自分が面白いと思った」事を他人に面白く語って聞かせられる人間というのはあまり多くない。単なる知識の羅列で終わってしまったり、読み手を置いてきぼりにして一人で盛り上がり、分かる人間だけは同じようにテンションを上げているのだがこっちは冷めてしまうというような事は多々あるものだ。しかし、黒川博行の小説にそんなことは無い。

何故か。「キャラクターが面白すぎる」のだ。緊迫した状況でも妙に飄々とし、一方小さなことでグチグチ足踏みをする。「普通の人間」が決して無個性や没個性ではないように、奇妙な一面を持っているからこそ実に親しみやすく、そこら辺にいそうな人として頭の中に入ってくる。掛け合いの軽妙さで、事情が分からなくてもケラケラと笑って読んでいられる。謎こそがメインだ、という読み方をしてる人には怒られるかもしれないが、何を言われてもそこが面白いのだからしょうがない。また、実にしょうもない所で愚にもつかない冗談が、時に自分でも驚くような頭の悪い発言が口からこぼれてしまうというのは(これを僕は「脊髄言語」と呼んでいる)、同じ関西で生きている身として実に想像しやすい。そういう意味では、案外関西圏に住んでいない人からは結局本当のところでのこの面白さはわからないのではないか、とも思えてきたが、まあ僕の感じている面白さと同じ部分を同じように面白く感じていなくても、他の部分で面白さが見出せるならそれはやはり小説に「厚み」があるという事なのだろう。

そういえばこの「煙霞」、珍しい事にヒロインが出ずっぱりだ。僕が読んだのは多分10冊程度のものだが、半分は物語の最初とか途中にチラッと顔を覗かせて主人公にモチベーションを与えるニンジン役だったし、もう半分はまずヒロインが出てこない。別に悪口ではない。ニンジンと分かっていても悠紀ちゃんは可愛い。だがまあ、オッサンとオッサンが手を組んで金持ちのオッサン相手に悪巧みをかまして金をせしめてやる、というような、漫画家で言ったら福本伸行みたいな感じの話ばかりだったので、結構新鮮な気分だった。

今調べたらドラマをやっていたらしい。うーむ、あまり期待は出来ないが気になるところだ。レンタルに来たら1話見てみようか。

九つの、物語

「人は愚かだ。間違うこともある。それでも、一瞬一瞬、確かな幸せを得られるなら、間違うことを恐れるべきじゃない」

 

橋本紡「九つの、物語」を、ようやく、ようやく、読み終えた。おそらく発売から間もないころに貰ったもので、もう七年にもなるだろうか。今まで読まなかったのが不思議であり、一方で、今だからこそ読んで良かったのかも知れないとも思う。

とてもやわらかい。易しい文体で、優しい言葉で、読者の共感を呼び込むような、そんな小説だった。

橋本紡という小説家を想うとき、僕は絶対に置いておけない作品が二つある。「リバーズ・エンド」と「半分の月がのぼる空」だ。後者はアニメにもなったし、確か実写映画にもなったのではなかったか。それ以外にも三重の方言で書き直されたり、別の文庫から再販されたり。色々と、話題に事欠かない作品だったように記憶している。前者は、それとは対照的だった。メディアミックスと言われるようなものは全然でず、そういう意味でとてもおとなしい作品だった(内容はそんなことなかった)。片や恋愛モノ。片やSFモノ。扱われ方のまったく違ったこの二つの小説は、しかし同じ空気を漂わせていた。僕はどちらも大好きで、しかし、読んでいると悲しくなってくるので、そう何度も読み返しはしなかったと思う。だから、大まかな流れやいくつかのシーンは覚えていても、細部やどう終わったのかは良く思い出せない。果たして、最終巻までちゃんと読んだのかどうかもわからない。読み直せばよいと、そう思うだろう。だが僕はそれどころではないのだ。作品を頭に思い描くだけで、胸のどこかが背中に向かって沈み込んでいくような、そんな気分に覆われてしまう。作品に対するぼんやりとした記憶を思い出すだけで――あるいは作品を克明に思い出せないからこそ余計にそうなのかもしれない――辛いのだ。悲しいのだ。泣きたくなってしまうのだ。だから、もうしばらく、この二つの作品を読むことはないかもしれない。読みたいと思い、読みたくないと思う。大いなる矛盾だ。

話はさらに横へ飛ぶ。「あの時代は」、と。わずか数年間を、あえて大層な言葉で括ろう。あの時代は、面白くて、軽妙で、しかしその中にも悲しみや憂い、あるいは切なさみたいなものを湛えた物語が、ごく一部、若者向けの小説レーベルで流行していたように思う。「イリヤの空、UFOの夏」「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」「時空のクロス・ロード」……等等。名を挙げだせばキリがなく、また人によって分類も受け取り方も違うだろうから、ここまでにしておく。とにかく、まだ「ライトノベル」という言葉が今ほど浸透していなかった頃。読んでいる僕たちでさえ、そんな言葉を使っていなかった頃。「ライトノベル」の中で、笑いながら涙するような。心地よさの中で身を裂かれるような。そんな小説が流行った。楽しくて、可愛らしくて、少し猥雑で、でも、それだけじゃなかった。どこかに棘を持っていた。僕の心を突き刺して、離れない。存在を忘れさせない。読んでいると楽しくて、でも辛い。そんな小説が馬鹿みたいに沢山出て、読むたびに心を締め付けられることの出来た時代が、確かにあった。

この小説を読みながら、僕は泣いていた。作品の内容というよりも、この小説に漂う空気にやられた。あの時代の匂いがした。僕の大好きだったあの時代の。懐かしかった。ただ、なによりも、懐かしかった。ああ、こんな小説を書く人だった。そして、こんな小説を書く人が沢山いた。

 

そして僕は、こんな小説が大好きだった。