「お互いにとって“最高の戦争”になるぞ」
チューリング・テストの発案者にして、当時世界最高の暗号と謳われたエニグマを解読した天才数学者、アラン・チューリング。彼の半生を綴った映画と言って、間違いではないだろう。
まずやはりなんといっても主演のカンバーバッチだ。見事に役に嵌っている。ただ、彼を見ていてひとつ思う。彼の芝居が高い親和性を発揮しているのは、「天才」とよりもただひたすらに「神経質な男」なのではないだろうか。無論、「天才」役が多いのは知っている。こないだはホーキング役で主役をやった映画も見たが、あれも良かった。チックやどもりに始まる、その所作。アイコンとして強くアピールされるものもあれば、隠し味的にひっそりと忍ばされたものもあるだろう。だが、「裏切りのサーカス」で見せた演技は「天才」とは違う。有能だが、異質ではない。あくまでも「普通」の範疇であり、そしてやはり神経質だった。彼自身がそういう性質を持っているのかどうかは知らないが、僕の見た彼の芝居は本当に「繊細な男」ばかりで、どれも上手い。「SHERLOCK」では繊細であるがゆえに「繊細であるという芝居を打つ」という、非常にまどろっこしい演技までしていた。これは彼自身が、言ってみればある種の「英国人らしさ」(100%偏見であることを明記しておく)を武器にしているのだろうか。それとも、制作陣に求められているのだろうか。ともかく、嵌っているのだが、まったく違う役をしている様も見てみたいな、と思った。
さて、映画の内容について。最近実話を基にした映画が多い。「グレース・オブ・モナコ」を見た記憶はまだ新しいし、「英国王のスピーチ」も最近の映画だったと記憶している。「アルゴ」もそうだな。今あげたいくつかの映画はどれもとても面白いものだが(特にアルゴはすごかった)、やはりサスペンス的盛り上がりに欠ける。実話を元にしているので、見ている人間からは映画の場面は常に「過去」とリンクしてしまう。ある意味で結末がわかっているのだ。しかし、作品の構造上は「今」であり、キャラクターにとってはどうなるかわからない。ここで、見ている側、僕としてはどうしてもしっかりとキャラクターに感情移入出来ることなく最大の山場を迎えてしまい、「ああ、良かったね」と、楽しみながらも一歩引いたような視点に立たざるをえなくなってしまうのだ。
その点で、この映画は上手かった。映画の始まりが既に1950年だ。WW2が終わって5年後のアラン・チューリングから物語が始まる。まるで監督に「さあ、視聴者の皆さん。CMやポスターで彼がどんな人物か知っているでしょう? そんな彼が、薄汚れた屋敷で部屋の掃除をしています。何故そんな事になったか、気になりますよね?」と聞かれているようなものだ。もちろん気になる。そして、他ならぬアランの口から、当時の出来事が語られるのだ。”pay attention” 注意を払え。一言も聞き漏らすな。「何が起こったか、話してやる」
実に上手い。こうすることで、映画と僕は「語り部」と「聞き手」にという原始的な関係に変化した。そしてこの描き方が示すもの。それはこの映画が「どういう映画なのか」ということだ。これは、「天才数学者が如何にエニグマを解読するか」という映画ではないのだ。「アラン・チューリングがどんな人だったか、知ってください」という映画なのだ。
無論、映画は映画だ。史実もあれば嘘もあり、勘違いや読み間違いもあるだろう。だがそれでも、この映画には「アラン・チューリング」がいた。彼がどんな人だったか。その片鱗でも、知れてよかったと、僕は思う。