聲の形

「ちゅき!」「え、ああ……月? 綺麗だよね」

 

大今良時原作、京都アニメーション製作のアニメ映画「聲の形」を見てきた。

とても綺麗な映画だった。そしてなによりも、耳に訴えかける映画だった。テーマとして、そして映画として、それが良いことだったのか、それとも皮肉になってしまったのかどうかは一介の視聴者である僕には定かではなく、また僕個人は見ていてとても楽しかったのだけど、そういうのとは一段違う場所で。どうにも気になってしまった。

耳に訴えかけるという言葉の意味は、いくつかのシーンで、絵と音の主従関係が逆転していたように思えたという事だ。映画のBGMというよりも、ミュージックビデオというような。映像のための音でなく、「音のための映像」になっていたような。これが意図しての演出なのか、結果としてただそうなっただけなのか。そこのところが気になって気になって仕方がない。スタッフトークで監督への質疑応答があるかと思ってドキドキワクワク待っていたのだが、残念ながらそんなものは無く、聞くことが出来なかった。

内容を考えると、よくぞあの漫画をこのように纏め上げてくれたという喜びと、これ漫画読んでない人付いて行けるのかな?という不安がないまぜになる。映画「予告犯」にも感じ、レベルは違うが「スターウォーズ フォースの覚醒」にも存在した不安。「話を進める上でどうしても必要だけれども尺を取れない」という部分を、既読者への目配せによって済ませてしまう事による温度差だ。これに関しては漫画を読んでいない状態で映画を見た方に聞くほかないのだが、この映画は、未読者を置いていってしまう映画ではなかっただろうか。

 

と、見方によっては不平か不満のようにも聞こえかねない事ばかり書いてきたが、しかし楽しく、美しく、そして原作同様に心に爪痕を残す映画だったのは確かだ。マンションから花火が見えるシーンの湛えている情感は恐ろしいものがあった。永束くんは独りで「日常」をやっていて面白かったし、声優の演技も目を見張るものがあった。入野自由の特に驚いた時の素っ頓狂なイントネーションは聞いていて心地よかったし、結弦の声優が悠木碧である事など、スタッフロールで見るまで意識しなかった。いくつもの「気になる」を残したと言うのにしたって、僕は不満を抱いているわけではない。ただ、気になる。誰かに聞きたい。とても、気になるのだ。

百日紅~Miss HOKUSAI~

「お前のような了見のもんに、本物のもののけが見えてたまるかよ」

 

杉浦日向子のコミックをアニメーション映画化した原恵一監督の「百日紅」を見て来た。

絵は良いが話が悪い。音は良いがセリフが悪い。シーンシーン単体ではこれは、と思うところも確かにある。だが、通して見ていて苦痛。そんな映画だった。もう本当に声優がひどい。音響だか演技指導だかは何をしていたのか。聞いていて違和感が無かったのは男娼と、まけても善次郎ぐらいのものだった。

がっかりである。僕は二週間ほど前に原作コミックを本屋で発見し、購入してそのまま読んだ。大変楽しく読んだのである。当然、この映画にも胸を膨らませ、期待を大にして劇場まで足を運んだ。そのわくわくは最初の十分ほどでしぼみ、途中からは帰りたいとすら思った。それほどに期待はずれの、「つまらない」映画であった。

まずエピソードのチョイスがひどい。何故真っ先に龍の話を持って来たのか。あのエピソードは北斎とお栄の関係や、お栄の力量をある程度見ている人間に伝えてからやるべきものだ。ただあれを見せられたんじゃなんの面白みも無いわ。ただ単にアホな娘が絵を台無しにしただけのことになってしまう。いや勿論それは間違っていないし、事実そういう話なのだが、しかしそれだけではない。それだけで終わらせないだけの面白みがある話を、ただ間抜けなものに仕立て上げている。がっかりだ。

次に、エピソードからエピソードへの転換がひどい。ただの場面転換なのか、次のエピソードに移ったのかがさっぱりわからん。二つの転換に何の違いも無いからだ。それでいて季節は動くわ着ている服は変わるわ、見ていて混乱する事甚だしい。しかも複数のエピソードを切ったり貼ったりして無理矢理な繋ぎ方をしやがる。どういう基準でエピソードを選び出したのか問い詰めたいものだ。

 

この映画は全てがひどい、というものではない。エレキギター(だろうか。楽器には疎いのでこれと断定する事はできないが)とともに江戸を映す開幕は非常に良かったし、橋をくぐるシーンや黒雲の中にうごめく龍、ススキ野原を駆けていく両手など、絵や動きは見ていて面白い。見所となるシーンはいくつもある。だが、それと糞のような脚本だかセリフだかが同居する。声優陣も聞いてて違和感を覚える。話もわけのわからん切り方繋ぎ方選び方をする。悪い点が多すぎた。

なので、僕と声やキャラクター造形の好みが異なるという人は楽しめるかもしれない。その点に関しては保証はしない。

ローリング☆ガールズ 第七話

「お迎えが来たみてえだ。帰りな」「でぇ? 結局何ィ、歌わせたかっただけ?」「清水寺ロックエクスプロージョン。俺も盛り上げてやるよ」

 

京都編。なんだ今回。なんだ。可愛い。可愛いしか感想がない。

まずアバンが目ん玉飛び出るほど可愛かった。何故京都を目指して十津川に着く。本編も特にストレスになるところも感じず、バトルでのキレッキレの動きや、めちゃくちゃキャラの立ってるご当地モサ(可愛い)を見てるだけで楽しかった。1話を思い出す感じだったな。

 

ちょっと考えたけど可愛い以外感想がない。今迄で一番可愛い。これがこれまでの6話という積み立てによって辿り着いた感情なのか、それとも単体で見ても戦えるレベルのものなのか、そこは杳として知れないが、とにかく、可愛かった。

ローリング☆ガールズ 第六話

「ゆきっぺ!」「千綾ちゃん!……良かったぁ……」「ほら見ろ、ちゃんと帰ってきたじゃん」「はい、私、方向音痴とかじゃないんで」

 

今回は今までに増してベタにベタを塗りたくったような話だった。だが分かっていても笑ってしまう事もある。この辺のさじ加減が何で決まっているのかはさっぱり見当がつかないが。

というか石、鈴鹿も持ってたのか。先週ちょっと考えたのがご破算である。幼いころ石を交換した男女が年頃になって再会……しかも片方は敵国のリーダー、とかここだけ切り取ったらそれだけでメロドラマにできそうだな。その辺をあくまでもゆるく、ほんわかと、それでいて毒気のないわけじゃない状態で使う。このバランス感覚はとても気に入っている。

驚いたのが「このアニメ三重の事悪く言いすぎ」みたいな意見がtwitterで見られた事だ。思い返せば3話4話のオールウェイズ・コミマの回も異様なほど双塔騎士団の団長が叩かれていたな。確かに良い人のとる行動じゃないし、短絡的でもあるが、あそこまでクズだの胸糞悪いだの書かれるほど悪逆な行為をしているようにも思えなかった。今回もそうだ。アニメは別に三重の事を悪くなど言ってない。ただ、三重と愛知が争っていて、カメラ(主人公)が愛知側にあるから、愛知側の意見が前に出ているだけだ。キャラクターの発言であり、当然その物言いも自分本位なものになっている。まさに1話のナレーションで言われていた「身勝手な利欲」がむき出しになっているに過ぎない。という事にすら気づいてないとは思えないので(その穴だらけな理屈で批判されている事に気分を害しているのだろうし)、もしかするとその身勝手さが「意図されたもの」であるという受け取り方をしていないの知れない。

 

そんな事より。挿入歌にTRAIN-TRAINが流れたのである。「TRAIN-TRAIN」「青空」「情熱の薔薇」の三択で最終話に流れる曲を予想している人がどこかにいて、僕もありえるなぁと思っていたが、まさかTRAINをバイクレース中に流してくるとは。思ってもみなかった。勿論、ワンフレーズ目が入った瞬間テンションがバコーンとあがった。だが正直、二人目が歌い始めた時はおいおい、とブレーキがかかったのも確かだ。ソロパートを順繰りに回していくのでちょっと誰なのかはわからないが、あまりにも「声優っぽい」歌の歌い方だった。やめていただきたい。そして、三人目。めっちゃくちゃ舌足らずに歌う所で、なぜか僕は「よし! オッケー!」とまるっと許容出来る心持ちになった。なってしまった。自分でもまったく理由がわからない。本当に気分ひとつの部分だと思う。ちょっと見方が違ってたら「何あざとい歌い方してんだよボケが」となっていただろう事は想像に難くない。だが、受け入れてしまったから仕方ない。ああ、早くカバーアルバムが欲しい。でも欲を言うなら、やっぱりあの声優声優した歌い方じゃない、もうちょっと別の歌い方をしてくれないかなぁ。

ローリング☆ガールズ 第五話

「だってほら、シャチホコって変じゃない。ブサイクだしさ。可愛くないよ。えびぞってる意味もわかんない」

 

4話でうえええーとなっていた僕を爆笑させてくれるとは思っていなかったので、物凄く驚いた。やれば出来るじゃねぇか! こんな感じの空気、ノリ、テンションで是非最後までお願いしたい。

今回のバランスは良い。2話に近い。どこを切ってもコミカルで、笑いながら見ていられるため話がゆったりと進んでもあまり気にならない。一喝とともに爆発する町中のシャチホコとか笑わずに居られるか? まあ、爆発ネタが二回続くのはちょっと問題かも知れないが、いっそ全国各地で巻き起こる爆発事件とかだと面白いか、とも思った(これはないだろうけど)。笑いどころで笑って楽しんだ分、感想が書きにくくなるのは……それはそれで困るのだが……楽しめたから良しとしよう。毎回怒りのブログ更新をしていると疲れる。

タイトルも、今までで一番嵌っている。勿論、これまでも沿ってはいたのだが、むしろタイトルに負けていた。今回はピシャリ、と話に合っている。「期待はずれの人」抗争を望む両団員にとっての団長であり、そして魚虎姫子の自分自身に対する評価でもある。

「サーキットの星」の持ち主は名前的にも因縁的にも三重モーターズ団長の持ち物だろうか。石が人に力を授けるのは確かだと思うが、その力を受けられる範囲が具体的にどのようなものなのかがまだ見えてこないな。所持している間、なのか、「その人間のもの」である間なのか。

千綾がタコになったのはくたびれた事のアニメ的表現かと思ったが、冷蔵庫に入れておけ、とか作中でも異物として扱われているのを見ると何らかの意味があるのだろう。これでタコ焼きが好きな女の子がタコになる、というだけのギャグ表現だったら驚くぞ。