ピンポン第三話

「月本の事を、ずいぶん気にしておられますが、何故」「んーそこのあたり、少し複雑でな。なにしろ、才能とは求める人間にのみ与えられるものではないのでな」

 

2話の時点で大体わかってたことではあったが、バタフライジョー完全カットで僕の中の原作厨が死んだ。いや、もちろん今後違う形で登場し作品に絡ませてくる可能性はあるし、それが素晴らしい出来になる可能性もしっかりあるが、しかし、しかし! バタフライジョーに会いに来たと小泉に言うスマイルと、バタフライジョー=小泉をオババに確認するペコの対比、その言動から浮き出る四人のキャラクターの厚み、そしてなによりそのタイトルの秀逸さが僕の心には突き刺さっているのだ。あれをそのまま見たかったという思いはどうやったって隠せない。

ただしアニメとしてみるなら、一部に不釣合い感こそ存在するものの、マンガ的なコマ割りを効果的に使った演出など珍しい作り方のアニメとしても一見の価値がある。内容としても、ここまで敗者を利用して作品を組み立てるものもなかなかないし、大筋はそれこそ十年前に映画にもなったほどの王道スポ根だ。アニメで初めてピンポンを見た人も、映画から入った人も、中々文句の出る場所はないのではなかろうか。

だが、この空気感、特にキャラクターたちの会話の、アニメも映画も敵わない、圧倒的に現実的な、「間」。これがマンガには満載されているので、未読の方は読んでほしい。最近特装版が全二巻で販売されているらしいのでお求めやすくなっているので是非!

だが、ここまで書いておいて何だが、そんな事は半ばどうでも良くなるほどのものがある。3話にしてようやく公開されたOPの凄まじさだ。明らかに複数人の絵柄が入り混じっている、歪なOP。だが、このブレは松本大洋のマンガにも見受けられるのだ。ここからもまた製作陣のピンポンへの、そして松本大洋への「愛」を見出してしまうのは少し贔屓目にすぎるだろうか? 正直、「未完成品です!」といわれたら確かに、と首肯してしまうような映像なのだが、しかし僕はこれを完成品といわれてもなんの不満もないどころか諸手を挙げて大喜びだ。それほど、凄い。なんと言っていいのかわからないが、凄い。ココを見ればその異様なる出来栄えにも納得がいくかもしれない。特に、僕的にはこの人だ。大平晋也。

若い世代から見ると、大平さんというのは、スーパーアニメーターなわけですよ。(『フリクリックノイズ』貞本義行)

アニメーターなんぞほとんど知らない僕のような人間でさえ知っているほどの傑物である。この人の描くアニメーションは動きやカメラの動かし方が実に独特で、比類なく、まさにUniqueという言葉の似合う人だ。水の表現が特に素晴らしかったように記憶している。橋本晋二(晋治?)も強烈なアニメーターだし、もうミーハーな僕としてはもう兎にも角にもこのOPが生まれたという一点だけでピンポンのアニメ化は成功だったと言ってしまって良いのではないだろうかという気分になっている。

ピンポン第二話

「布団ないでしょ、そこ」

 

フラストレーションがたまった回だった。アニメの枠が11話しかないせいだろうが、ぶっ飛ばして話を進め、一気に一巻分を終わらせてしまった。全体的に巻いて巻いて話を進めるせいで漫画の中にあった会話の間や合いの手が見る影もなく、ただ漫画にあったシーンと台詞を切り抜いて流すだけの残念ムービーになってしまっていたのだ。小泉先生の演技は鬼気迫るものがあったものの、「この星の一等賞になりたいの、俺は!」もアニメ化決定時に流れたPVほど鋭さがなかったし、ああ僕もPVと1話に踊らされて少々テンションをあげすぎたか、と肩を落としたものだった。

特に、バタフライジョー戦があっさり終わったのが悲しかった。僕は「教えてあげるよ、Mr.月本!! 君の甘さと、ハッ。バタフライジョーの悲劇を!!」というあのセリフがとても好きだったのだ。

 

だが、スマイルの覚醒シーンは素晴らしかった。ヒーローの訪れを待つスマイルに、しかし救い主は姿を見せない。追い詰められたスマイルに現れた変化とは……。このシーンは半ば白けながら見ていた僕の意識を一気に引き付けた。思えば、一話でももっとも印象深かったのはチャイナの独白だった。ピンポンにおける湯浅監督のオリジナル要素とは、相性が良いのかもしれない。

このシーンが存在したおかげで、僕はこの回も好きになれた。不完全なコピーを見せられるより、自己流に再構成したものの方がよほど良い。

どうか。完全な再現が無理なら、監督の解釈した新しいピンポンを作ってくれ。愛の有無、情熱の有無など他人には、そして本人にすらも判別出来るものではないが。やはり、出来上がってくるものには違いが存在すると信じているし、僕の中で優劣のつく作品というのはそこの有無を僕の何処か判然としない部分が嗅ぎ分けているのだと信じているから。

 

音と動きがつくだけなら脳内で良いのだ、僕は。アニメにするというのなら、それを上回る何かを望んでやまない。

ピンポン第一話

「次の駅?」「次の次」

 

待ちわびた。松本大洋原作「ピンポン」。毎週新規公開されるCMで存分に高められた期待、そのハードルはしっかり越えてくれた。一話のサブタイトルが「風の音がジャマをしている」だったから一体どんだけぶっ飛ばすのかと心配になったが、まったく無用だった。丁寧に演出してるし、何より松本大洋の絵が動いてるというのが凄く良い。

マンガ的なコマ割りをアニメとして見せる演出が気を惹いた。やり方が巧い。それでいて、アニメーションならではの凄いカメラの動かし方も良い。サブタイトルが表示されるシーンはコミックの時から凄いカッコいいシーンだったが、そのカッコよさがしっかりアニメでも再現できていた。スマイルの渾名がどういう経緯でつけられたかのネタ晴らしはちょっと勿体無い使い方されてたが、11話しか枠が無い事を考えれば仕方ない範囲だろう。

チャイナとペコの対決がまた凄い。BGM、良い様に遊ばれるペコ、そして過去を反芻し怒りをくみ上げるチャイナ。リレーCMの時から思ってたが、チャイナの声優が素晴らしい。感情の出し方が凄い。これはアクマやドラゴンにも大いに期待できる。

 

いやあ、今年の四月は本当に素晴らしい月だ。ピンポン the Animationを、最後まで楽しめる事を願っている。

暴れん坊力士!!松太郎第一話

「他人の弁当ってのは、実にうめぇ」

 

ちばてつや原作、「のたり松太郎」がまさかのアニメ化。まさかというか何故かのアニメ化と言った方が正しいレベルに謎。いや、書いておくと僕は原作を読んだ事はない。だが、話を聞いた事ぐらいはある。それに何より実際アニメを見てもなんでアニメにしたのかさっぱりわからん。色んな人が怒りそうな作品だが。

更に言うと出来が良いのがなおさらわからない。最早不可解ですらある。この枠って一年単位でアニメ作る枠だし、東映アニメーションの偉いさんは何を考えているのか。

しかも主演に松平健を据えているし、OPなんて完全に昭和の歌謡曲だし、誰向けに売るつもりなのかも不明だ。東映アニメーションの偉いさんは何を考えているのか。

疑問は絶えないが、ともかく、最近のアニメらしからぬ面白いアニメが今年は多くてありがたい限りである。この調子で僕の好きな類のアニメが増えてくれればもっとありがたいのだが。

 

ちばてつやの漫画は「俺は鉄兵」が大好きだった。あれも伯父の家か祖母の家かどっかに積んであったのを読んでいたので最後までは読めていないのだが。それにしても何故今、ちばてつやの漫画がアニメになるのだ。一体何が起こっているのだろう。

スペース☆ダンディ第十三話

「そしてこれは、掃除機がコーヒーを飲みたくなるのに必要な二十三日間の物語である」

 

スペースダンディ最終話。愛だの恋だのは無駄。その通りだ。だが、無駄な事でも、やりたいと思った事に対してがんばれるのが、人間であり生命なのだ。そういう話だと僕は思った。報われぬ恋のためにがんばる男。その努力さえ意中の相手には届くことなく。ただ、その子の願いを叶えて黙って立ち去る。

ダンディじゃないか。この一クール十三話の中で、この話のQTが一番ダンディだった。しかも、最初は純真な少年なのだ。その少年が垣間見せるダンディズム。機械であり、AIであるQTだからこそ、このシーンのかっこよさはより一層増すのだろう。

今回も演出が凄い。画と音がガッチリと絡み合った、アニメーション的楽しさを一話から最終話まで貫き通してくれた事に本当に感謝する。素晴らしい。戦闘シーンは大画面で視聴したかった。

後、これ実際にどうなるかは知らないのだが、QTが吹っ飛ばされて一切バウンドせずにズンッと床に沈むのが重量感あって凄いよかった。

大塚明夫が眼帯をつけた機械(トースターだろうか。もしかしていさましいちびのトースターとも掛かっているのかもしれない。)に声を当てていた。最近の大塚はどうも苦手だったが、これはとても良かった。また、平野綾もゲスト出演していて嬉しかった。この人は言動で散々叩かれたが、声優としてはとても上手い。もっと仕事が来てしかるべき人だと思う。

 

最終話を迎えたが、スペースダンディは終わらない。七月からシーズン2がスタートする。本当に楽しみだ。シーズン1を塗り替える衝撃と、適当さと、そして感動を期待する。